24 ほっぽきの話
昔、養蚕の盛んであったこの辺では、お正月の十四日に「めえだま」(繭玉)を作ってまゆの豊作を願うお祭りが行なわれました。繭玉にみたてた団子を米の粉で作り、伐っておいた樫の木の枝にたくさん刺します。この樫の木は座敷に置いた石臼に立ててかざります。又神棚にも小枝を供えました。
又この日は「女日待」(おんなひまち)といって女衆だけの楽しい寄り合いが夜通し行なわれる風習でした。
昔の女達は朝早くから夜中まで畑仕事や機織りと働き通しの毎日でしたから、この日は晴れて遊べる楽しい一夜でした。
寄り合いの宿には部落中の女衆が集まって御馳走を食べたり、おしゃべりをしたり、又「ほっぽき」と呼ばれるささやかなばくちをしたりして楽しみます。
ほっぽきはほっぴき(宝引き)ともいってごく単純な賭事で、当時はいたる所で行なわれた遊びのようです。
まず「ドウヤ」(胴親)を決め、その人が長さ}メfトル位の麻紐を入数分ほど束ねて片方の端を握り手首に一廻りさせて持ち、もう一端を車座の中央にパッと投げます。他の人達はその麻紐を一本ずつ拾います。ドウヤが握っている側には一本だけ巾着(きんちゃく)とか、穴明き銭(文久銭)などを二枚位をつけた目印があってその紐を引いた人が当りで皆の賭けたお金を貰えるという仕組みです。二回続けて当ると、「ブテ」といって倍額になります。賭金は明治の中頃で五厘か一銭位だったということです。
さてこれは芋窪にお住いのあるお年寄りに聞いた話なのですが、ある年のお日待ちの時のこと、女衆達が夜遅くまで賑やかにほっぽきに打ち興じていました。おまけに途中からは若い男衆も仲間に加わって来て、座は一層明るくはなやいでいたのです。ところがその時、いきなり警察官がどっと踏み込んで来たのです。一大事です。
男衆は慌てふためいて雨戸を開けるなり、一目散に逃げてしまいました。ハタシ(機織の機械)の下に隠れる者もいました。しかし腰の重い女達は大勢つかまって、しょぴかれてしまいました。実はこの晩、この近くで本物のバクチがあると聞き込んで田無の警察が取締りに出動してきたのです。しかしあいにくバクチの現場は押えることができなかったもので警察も手持ち無沙汰ですから、折から賑やかに笑い声のしていたお日待ちの宿に踏み込んだのでした。
僅かなお金をかけた女達の楽しみの座は可哀想にもぶちこわしになってしまいました。そして女衆ははだしのまま、縛られて田無の署まで歩いて連れて行かれてしまいました。翌日男たちは着替えや下駄を持って警察まで貰いさげに行きました。
この事件には女衆もすっかりこりて、次のお正月からは、ほっぽきは勿論、お日待そのものも止めてしまったということです。
(東大和のよもやまばなしp52~54)